この段階的変化を舞台上で完璧に昇華させた代表作が、『源氏物語』を原案とする『能『葵上』』である。平安の都で一世を風靡した気高く気品あふれる貴婦人、六条御息所。彼女の生霊が、光源氏の正妻である葵上への嫉妬ゆえに鬼へと変貌していく姿は、古典的な鬼女文学の金字塔として語り継がれてきた。
舞台上で六条御息所が纏う面は、劇の進行とともにその表情の影を変える。集大成としての大成者である世阿弥が能楽の理論を大成して以来、役者の微細な顎の傾き(面を伏せる「曇る」、面を上げる「照る」)によって、浅般若の悲哀から中般若の怨念へと感情が可視化されていく。愛されたいという切実な望みが裏切られたとき、高貴な魂がいかにして鬼の姿へと堕ちていくのか。その悲劇の軌跡が、能面の陰影の中に刻まれている。