織田信長は死んでない?本能寺の変で遺体が消えた驚愕の真相

織田信長は死んでない?本能寺の変で遺体が消えた驚愕の真相

織田信長は死んでない?本能寺の変で遺体が消えた驚愕の真相についての疑問解決ガイドをご紹介します。

信長が死んでいないという言説が飛び交う一方、近年の歴史学会では「なぜ明智光秀はあのタイミングで決断したのか」という動機研究が飛躍的な進展を見せています。

昭和から平成期にかけては「朝廷黒幕説」「足利義昭黒幕説」「羽柴秀吉・徳川家康共謀説」など、多くの陰謀論的黒幕説が百花繚乱の様相を呈していました。しかし、2010年代半ばに発見された『石谷家文書(いしがいけもんじょ)』をはじめとする新史料の精査により、事変の引き金は「四国政策の急転換」に伴う光秀の政治的孤立と焦燥にあったとする単独決行説が有力視されるようになっています。

信長は当初、光秀を通じて土佐の長宗我部元親と友好関係を結び四国平定を進めていましたが、天正10年に入り突如方針を転換し、三好氏を支援して長宗我部討伐(三男・織田信孝総大将)を決定しました。四国侵攻部隊が堺から渡海する予定日は、奇しくも本能寺の変が勃発した天正10年6月2日その日でした。

自らの取次としての面目を完全に潰され、家中での立場を失う危機に瀕した光秀が、信長が手薄な警備で本能寺に宿泊するという千載一遇の好機を捉えてクーデターに踏み切った――これが現代の実証史学が描き出すリアルな真相です。そこに第三者の壮大な黒幕や、信長自身が仕組んだ狂言劇の介在する余地は見出せません。

田中 結衣
著者

田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。