ホッテントットとは何か?差別用語の理由とサラ・バートマンの真相

ホッテントットとは何か?差別用語の理由とサラ・バートマンの真相

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この差別用語の歴史において、決して忘れてはならない人物がサラ・バートマン(Sarah Baartman、1789年頃 - 1815年)です。彼女の人生は、19世紀ヨーロッパの帝国主義と人種差別、そして性的な搾取構造が複合した最大の悲劇として記録されています。

東ケープ地方のコイコイ人の家庭に生まれたサラは、植民地戦争で家族を失い、ケープタウンで白人農場主の使用人として働かされていました。1810年、イギリス人の軍医ウィリアム・ダンロップらによって「大金が稼げる」と騙される形でロンドンへと連れ出されます。彼女を待っていたのは、見世物小屋の檻に入れられ、大衆の好奇の目に晒される日々でした。

コイコイ人女性特有の身体的特徴である「脂肪臀症(しぼうでんしょう:臀部に大量の脂肪が沈着する遺伝的特性)」や独特な性器の形状が、当時の白人社会にとって異様な猟奇的好奇心の対象とされたのです。彼女は舞台上で「ホッテントット・ヴィーナス」という屈辱的な芸名を与えられ、衣服をほとんど剥ぎ取られた状態で動物のように観客に見せびらかされました。

当時のロンドンでは、奴隷制度廃止運動家たちが「彼女は人権を蹂躙され監禁されている」として解放を求める裁判を起こしましたが、興行主側の圧力と欺瞞的な証言によって却下されました。その後、興行権はパリの猛獣使いへと売り飛ばされ、過酷な見世物生活の中で彼女はアルコール中毒と感染症に侵され、1815年12月29日、わずか26歳前後の若さで極貧のうちに命を落としました。

彼女の悲劇は死後も終わりませんでした。フランスの著名な解剖学者ジョルジュ・キュヴィエは、彼女の遺体を解剖して脳や性器をホルマリン漬けの標本にし、骨格標本とともにパリの「人類博物館(Musée de l'Homme)」で1970年代に至るまで公然と展示し続けたのです。この残虐な事実は、当時の近代科学が「白人の優位性」を証明するためにいかに非人道的な人種決定論を振りかざしていたかを雄弁に物語っています。

冷戦終結後、アパルトヘイト(人種隔離政策)を撤廃した南アフリカのネルソン・マンデラ大統領がフランス政府に対し、サラ・バートマンの遺骨返還を公式に要求しました。長い外交交渉の末、2002年1月にフランス国民議会で特別法案が可決され、同年5月、彼女の遺体は実に192年ぶりに祖国南アフリカの土へと埋葬されました。彼女の墓所は現在、国家遺産に指定され、人間の尊厳の回復を象徴する聖地となっています。

山本 拓海
著者

山本 拓海

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。