歴史系フォーラムやSNS上では、時折「秀吉と秀長は晩年に対立しており、秀吉に毒殺されたのではないか」「千利休との金銭癒着を疑われて暗殺されたのではないか」といったセンセーショナルな陰謀論が語られることがあります。しかし、これらは史実の検証から明確に否定される誤解です。
秀吉と秀長の絆は、織田信長の草創期から死の直前まで極めて強固でした。秀吉が発給した自筆書状には、秀長の健康状態を心から気遣い、良薬の手配や医師の派遣を細かく指示する言葉が数多く残されています。弟が危篤に陥った際、秀吉は京都の朝廷や寺社に巨額の寄進を行い、必死に延命を祈祷させました。秀長を失うことは、秀吉自身にとっても政権運営の最大の右腕を失う自殺行為に他ならなかったのです。
また、秀長に対して「蓄財に励んだ欲深い人物」というイメージが一部で持たれることもありますが、これも一面的な解釈に過ぎません。秀長が紀伊の木材利権や鉱山開発、大和の商業流通を厳格に管理したのは、莫大な軍事費や政権運営費を兄・秀吉のために調達するシステム作りでした。秀長自身は個人的な私利私欲ではなく、冷徹なまでの実務官僚として財政基盤を強固に整えていたのが実情です。