現地を訪れた参拝者が最も戸惑い、かつ現場で最も頻繁に目撃される失敗が「参拝作法の取り違え」です。特に「お寺の本堂前で大きな音を立てて拍手を打ってしまう」という光景は、初詣や大型連休の観光地で後を絶ちません。改めて寺院神社の参拝手順まとめとして、両者の根本的な作法の違いを頭に刻み込む必要があります。
神社の基本作法は二礼二拍手一礼(一部の古社、例えば出雲大社や宇佐神宮では「四拍手」などの特殊作法もあります)です。手水舎で手と口を清めた後、神前に進んでお賽銭を納め、鈴を鳴らします。深く二回お辞儀をし、胸の高さで両手を合わせ、右指先を少し手前に引き下げてから力強く二回手を叩きます(柏手を打つ)。その後、指先を揃えて祈りを込め、最後にもう一度深いお辞儀を捧げます。柏手を打つ意味は、自らの魂を打ち振るわせて神を呼び覚ますとともに、胸中に偽りがないことを音で証明するためとされています。
対照的に、寺院では絶対に手を叩いてはいけません。寺院の作法は合掌作法であり、静寂を重んじます。山門で一礼して境内に入り、手水舎で清め、常香炉(じょうこうろ)があれば煙を体に受けて身を清めます。本堂の賽銭箱にお賽銭を納めた後、鰐口(わにぐち)や鐘があれば静かに鳴らし、胸の前で指と指をきっちりと合わせ、深く頭を下げて静かに祈りを捧げます(一礼)。最後に合掌を解き、もう一度軽く一礼して退きます。手を叩かない理由は、仏教において合掌は「右手(仏の清らかな世界)」と「左手(煩悩にまみれた人間の世界)」を一つに合わせ、仏と自分が一体となる敬虔な祈りの姿勢そのものだからです。
また、参拝の必須所作であるお賽銭のマナーと意味についても、両者で捉え方がまるで異なります。
神道におけるお賽銭のルーツは、古来神前に捧げられた貴重な白米を包んだ「散米(さんまい)」や、海山の恵みに対する感謝の「初穂(はつほ)」の代用です。また、自らに溜まった罪や穢れ(けがれ)を金銭に託して投げ入れることで、身を清める「祓具(はらえぐ)」の性格を持っています。したがって、神前への感謝と清めの意味合いが色濃く反映されています。
一方、仏教におけるお賽銭は「お布施(ふせ)」であり、仏教徒が実践すべき修行徳目「六波羅蜜(ろくはらみつ)」の筆頭である「布施波羅蜜」の実践です。自己の金銭に対する執着や強欲を手放し、寺院の維持や他者救済に役立ててもらうための「喜捨(きしゃ)」という修行そのものを意味しています。
よく巷で話題になる「5円玉(ご縁)」「10円玉(遠縁になるから避ける)」といった語呂合わせは、昭和以降の民間俗信に過ぎず、教義上の優劣は一切ありません。投げるように乱暴に放り込むのではなく、滑り込ませるように静かに納めるのが、神仏双方に対する本来の礼儀作法です。