明治時代にイギリスから鉄道技術が導入されて以降、日本の列車便所は長らく開放式(落下式)が当たり前とされていました。車両の床下に直接配管が伸びており、水洗ペダルを踏むと弁が開き、走行中の風圧とともに汚物が軌道上へ撒き散らされる構造です。
国鉄の内部資料や当時の報道記録によると、昭和30〜40年代の最盛期には、国鉄線全体で1日に大便約2000トン、小便約145万リットルもの排泄物が全国の線路へ投棄されていました。列車が高速走行することで汚物は霧状(エアロゾル状)に飛散し、以下のような凄惨な被害を引き起こしていたのです。
- 保線作業員への直接被害:線路の保守・点検を行う工夫(こうふ)たちは、通過する列車からの飛散物を避けるため、傘を差したり合羽を着込んで身を守る過酷な環境に晒されていた。
- 沿線住宅地への飛散・風評被害:線路沿いの住宅では「屋外に洗濯物が干せない」「窓を開けると異臭が漂う」「家庭菜園の野菜に汚物が付着する」といった苦情が殺到した。
- トンネル内での跳ね返り:密閉空間であるトンネル内では、気圧変動と走行風によって飛散した汚物が自車の車体側面や窓、後続車両に付着する事態が頻発した。
1960年代に入ると、公衆衛生意識の高まりとともに医師会や沿線自治体、保線労働組合が中心となり、国鉄に対する大規模な抗議運動や告発が相次ぎました。公害問題になぞらえて「黄害」と名付けられたこの事態は、国会でも取り上げられるほどの一大政治課題となったのです。