和食の基本書に書かれがちな「コトコト煮詰める」というフレーズは、魚の煮付けにおいては最大の罠となります。多くの人が「煮汁の色が薄いから、もっと煮詰めなければ味が染みないのではないか」と不安になり、火を弱めてダラダラと煮続けてしまいます。
しかし、前述の通り魚の筋繊維は加熱時間とともに水分を失います。身に味を染み込ませようとして煮込み続ける行為は、旨味のエキスを絞り出し、パサパサの繊維の塊を作っているのと同義です。
では、料亭の煮付けがなぜ中まで味が馴染んでいるように感じるのか。そこには2つの仕掛けがあります。
第1に、「身を取り出してから煮汁を煮詰める」というプロの段取りです。魚に火が通ったら(7〜8分経過後)、金目鯛とごぼうを崩さないようにフライ返しで器へと引き上げます。鍋に残った煮汁だけを強火で一気に煮詰め、水分を飛ばしてとろみと照りを凝縮させます。木べらで鍋底をなぞると一瞬底が見える程度まで詰まったところで火を止め、器に盛った金目鯛の皮目に上から回しかけるのです。こうすることで、身はふっくらとジューシーな水分を保ちながら、口に含んだ瞬間に濃厚なタレが絡みつき、完璧な味のバランスが完成します。
第2に、「温度が下がる時に味が染みる」という浸透圧の物理特性です。もしどうしても芯まで味を行き渡らせたい場合は、煮続けるのではなく、火を止めて落とし蓋をしたまま15分ほど休ませてください。煮汁が冷めていく過程で、身の細胞内へ自然と調味料が引き込まれていきます。