「笑止千万」という言葉を構成する「笑止」と「千万」。この成り立ちを深く掘り下げると、日本語のダイナミックな意味の変遷が見えてきます。
まず「笑止(しょうし)」の語源には諸説ありますが、有力な学説の一つとして、めでたいことや優れた出来事を指す仏教用語・古語の「勝事(しょうじ)」に漢字を当てたという説があります。これが中世以降、自分の過ちを恥じる気持ちや、他人の困った境遇に接して「気の毒だ」「見るに堪えない」「心苦しい」と同情する意味へと転じました。
室町時代の狂言や能楽、古典文学の用例を検証すると、「笑止」はもともと「痛々しい」「不憫である」という、他者への気遣いや憐憫の文脈で用いられていたことが確認できます。それが江戸時代から近代へと移行する過程で、「困ったことだ」という感情が「見苦しくて笑ってしまう」「滑稽極まりない」という嘲笑のニュアンスへと徐々にスライドしていったのです。
一方の「千万(せんばん)」は、「迷惑千万」「遺憾千万」などと同様に、名詞や形容動詞の語幹について「この上なくその状態であること」「程度が極めて甚だしいこと」を強調する接尾語です。つまり歴史的に見れば、「あまりにも気の毒で見ていられない」という同情の極致だった表現が、時代の変遷を経て「あまりにも馬鹿げていて話にならない」という嘲笑の極致へと180度転換したという、極めて稀有な言葉のドラマを背負っています。