織田家の歴史的な正統性を語る上で外せないのが、江戸時代を通じて大名として家名を残した柏原藩織田家(兵庫県丹波市)と天童藩織田家(山形県天童市)の存在です。これらは信長の次男である織田信雄(のぶかつ)の系統であり、明治維新後も華族(子爵)に列せられた公認の織田宗家筋にあたります。
一方、織田信成氏の祖先とされる織田信高の系統は、江戸幕府において高家旗本として代々儀典を司る家柄となりました。しかし、幕末から明治維新の激動期にかけて、信高系旗本の分家筋や庶流の一部が所領や公職を失い、記録の散逸や地域への土着が進んだとされています。織田信成氏の実家である高槻織田家は、大阪府高槻市周辺に居を構えていたとされ、生家には代々受け継がれてきた巻物仕立ての家系図が存在しています。
専門家や歴史研究家の間では、「織田信高の血筋を引く伝承そのものを虚偽と断じる証拠もないが、国宝級の確固たる公的史料のみで100%接続を証明し切ることも現段階では困難」という見解が一般的です。日本国内の旧武家や名家において、明治維新時の混乱や戦災によって公的書類が失われ、口伝や家蔵の巻物に頼らざるを得ないケースは決して珍しくありません。