由緒ある旧国名「甲斐」と、武田以来の中心都市である「甲府」という確固たる名称がありながら、なぜ新時代の自治体名は「山梨県」とされたのか。この決定的な理由は、明治新政府が推進した地方官制の改革プロセスにあります。
慶応4年(1868年)、明治新政府は旧幕府領であった甲府に鎮撫府を置き、まもなく「甲府県」を設置しました。その後、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県を経て、同年11月20日に行われた全国的な第1次府県統合の際、甲府県は正式に「山梨県」へと改称されたのです。
この改称理由の最大の核心は、当時の明治政府が定めた「県庁所在地の郡名または町名を県名にする」という命名原則にあります。当時、県庁が置かれていた甲府城下は、古代以来の行政区画において「山梨郡甲府町」に位置していました。新政府は行政区分を旧来の広域名(令制国名)から切り離すため、県庁所在地の所属郡であった「山梨郡」を取り、県名を「山梨県」と定めたのです。
なお、江戸時代の甲府は「府中」とも呼ばれ、城下町全体が複数の郡の境界に位置していましたが、県庁庁舎となった旧甲府城郭一帯の敷地が山梨郡に属していた事実が、この地名決定を決定づけました。