清太の行動を理解する上で決定的なのは、14歳という当時の年齢設定と旧制神戸一中生という身分です。現代の中学2年生から3年生に相当する少年であり、精神的にも自立した社会人ではありません。
親戚のおばさんが言い放った「お国のために働いている人だけが米を食べられる」「昼間からぶらぶらしている者に食わせる飯はない」という言葉は、銃後を守る国民にとって反論の余地がない戦時モラルとしての完全な正論でした。日本全国が極限の食糧難に喘ぐ中、働かない居候に貴重な白米を割く余裕はどの家庭にも存在しなかったのです。
しかし、清太側にも「働かない」のではなく「働けなかった」構造的要因がありました。当時の中学生は本来、学徒動員として軍需工場などで勤労奉仕を行っていました。清太も神戸大空襲で母を失う前は製鋼所で働いていましたが、空襲によって学校も工場も機能不全に陥り、身元引受人もいないまま居場所を喪失していたのです。加えて、神戸屈指の名門校に通っていたプライドが、田舎町の下働きや雑役作業に従事することを拒絶させました。