なぜアリ氏はこれほどまでに過酷な人生を歩まざるを得なかったのか。その根底には、1960年代初頭の華々しいポップカルチャーの裏で生じた、歪んだ人間関係とアラン・ドロン息子の死因真相に直結するトラウマの連鎖が存在します。
アリ氏の実母は、アンディ・ウォーホルの映画に出演し、伝説のロックバンド「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」の歌姫として名を馳せたドイツ人モデル・歌手のニコ(本名クリスタ・ペフゲン)です。1962年、映画撮影の傍らでドロン氏と短い情事を交わしたニコは男児を出産し、「クリスチャン・アーロン・ペフゲン」と命名しました。これが後のアリ・ブローニュ氏です。生まれた赤ん坊の容貌は、若き日のアラン・ドロンに生き写しであり、その切れ長の青い瞳と整った顔立ちは誰の目にも親子であることを疑わせませんでした。
しかし、アラン・ドロン氏は頑として父親であることを認めませんでした。ここで事態をより複雑にしたのが、ドロン氏の実母であるエディット・ブローニュ氏の行動です。実の息子であるドロン氏から激しく反対されたにもかかわらず、エディット氏は乳児院に預けられていた孫の窮状を見かねて引き取り、自身の再婚相手の姓である「ブローニュ」を与えて養子縁組を行いました。実の祖母によって育てられたアリ氏は、皮肉にも「父の母」から無条件の愛を注がれながらも、父本人からは徹底的な冷遇を受けるという倒錯した家族関係の中で成長することになります。
さらに青年期を迎えたアリ氏を決定的な破滅へと突き落としたのが、アリ・ブローニュ母親ニコとの関係でした。十代後半で母と再会を果たしたアリ氏に対し、重度のヘロイン中毒者であったニコは、親子の絆を取り戻す手段としてあろうことかドラッグの共有を持ちかけました。アリ氏は自著『愛は決して忘れない(L'amour n'oublie jamais)』の中で、痛切な筆致で次のように告白しています。
「母と同じ世界を見るために、私は注射針を腕に刺した。ヘロインを打っている瞬間だけが、母と私が魂で繋がれる唯一の時間だった。それは狂気の愛であり、同時に地獄への片道切符だった」。
母ニコは1988年にイビサ島での自転車事故により急死。遺されたアリ氏はドラッグの後遺症と戦いながら、2000年代に入りアラン・ドロン隠し子認知裁判の経緯として知られる法廷闘争へ打って出ます。フランスの裁判所に対し、DNA鑑定を通じた法的な親子関係の確認を求め提訴しました。しかしドロン氏側は一貫して法廷への出頭や検体採取を拒絶。さらにドロン氏がスイス国籍を取得して拠点を移していたことから、フランス破棄院(最高裁)は2021年、「フランスの裁判所には管轄権がない」として訴えを却下する決定を下しました。スイスの裁判所へ舞台を移した矢先、アリ氏の肉体は限界を迎え、無念の死を遂げることとなったのです。