「花より団子」という言い回しが定着した背景には、日本の都市文化が大きく発展した江戸時代の生活様式が深く関わっています。
もともと貴族層の雅な行事だったお花見は、安土桃山時代の豊臣秀吉による「醍醐の花見」などを経て、江戸時代に入ると八代将軍・徳川吉宗が上野や飛鳥山、隅田川堤に桜を植樹したことで庶民の一大娯楽へと広がりました。長屋の住人たちが弁当や酒、甘味を携えて桜の下に集い、賑やかに飲食を楽しむスタイルが確立された時期です。
こうした庶民の暮らしの知恵や価値観を反映して作られたのが、江戸時代後期に子どもたちの手習いや遊戯として親しまれた「江戸いろはかるた」でした。「江戸いろはかるた」の「は」の札に「花より団子」が採用されたことで、言葉は瞬く間に全国津々浦々へと浸透しました。一方、京都を中心とする「上方いろはかるた」の「は」の札には「一寸先は闇」が充てられており、東西の地域性や文化の嗜好差を比較する上でも貴重な資料となっています。
美しい桜を愛でる風雅な心を大切にしつつも、結局は仲間と分け合って食べる甘い団子の幸福感には敵わないという、当時の庶民の飾らない本音がこのことわざの語源となったのです。