義家弘介氏の足跡を振り返るうえで欠かせないのが、全国にその名を知らしめた原点、北海道の私立北星学園余市高校での日々です。長野県で荒れた少年期を過ごし、高校を中退して親から勘当された義家氏は、全国から中退者を受け入れていた同校に編入。恩師たちとの魂のぶつかり合いを通じて更生を果たしました。明治学院大学を卒業後、母校の英語科教員として戻ったことで、彼の代名詞となる「ヤンキー先生」のドラマが幕を開けます。
リストカットを繰り返す生徒、非行から抜け出せない少年少女たちと寝食を共にし、時には体当たりで向き合う姿はTBS系ドキュメンタリーで大反響を呼びました。2003年には竹野内豊氏が主演を務めた名作ドラマ『ヤンキー母校に帰る』のモデルとなり、教育界の救世主として脚光を浴びます。
しかし、教育の限界を現場で痛感した義家氏は、構造的な改革を掲げて教壇を去ります。横浜市教育委員などを歴任した後、2007年に当時の安倍晋三首相の強い要請を受け、自民党から参議院比例区に出馬して初当選。教育再生会議の主要メンバーとして「愛国心教育」や「道徳の教科化」、「いじめ防止対策推進法」の法制化に奔走しました。衆議院への鞍替えを経て、文部科学副大臣や法務副大臣、衆議院文部科学委員長を歴任。かつての不良少年が国家の教育政策の中枢を担うという、前代未聞のキャリアを築き上げたのです。