日本国内で周波数が2分された根本的な原因は、明治時代の電力インフラ黎明期における発電機器の導入ルートの違いにあります。
1895年(明治28年)、現在の東京電力の源流である東京電燈が、ドイツのAEG社から50Hz仕様の発電機を導入しました。一方、その翌年である1896年(明治29年)、関西電力のルーツである大阪電燈が、アメリカのゼネラル・エレクトリック(GE)社から60Hz仕様の発電機を輸入して稼働させました。
当時は送電技術が未発達で、それぞれの地域内で電力を供給することが前提だったため、互換性の欠如が全国的な問題として顕在化していませんでした。しかし、明治後期から大正時代にかけて送電網が急速に拡大するにつれ、東西の接続不能という深刻な構造的課題が浮き彫りになります。
過去には統一化の議論が幾度となく持ち上がりました。特に戦後の高度経済成長期には電力需要が爆発的に増加し、国家プロジェクトとして統一が検討されたものの、すでに東西双方で膨大な数の発電機・変電設備・家庭用電気機器が普及していました。周波数を統一するには兆単位の改修費用と長期の電力停止を伴うため、最終的に統一を断念し、周波数変換所を介して連係する運用形態が定着したのです。