なぜ難攻不落の都市は落ちたのか?コンスタンティノープル激動の全貌

なぜ難攻不落の都市は落ちたのか?コンスタンティノープル激動の全貌

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都市の起源は、紀元前7世紀にメガラの植民市として建設されたビザンティウムに遡ります。ヨーロッパとアジアを隔てる要衝に位置するこの地は、交易の中継地として古くから繁栄を極めていました。

大きな転換が訪れたのは330年、ローマ帝国のコンスタンティヌス1世による遷都です。「新ローマ(ノヴァ・ローマ)」と名付けられた新首都は、やがて皇帝の名を冠したコンスタンティノープルと呼ばれるようになり、キリスト教正教会の総本山として、またシルクロードの終着点として黄金期を謳歌しました。

時代区分・都市名支配勢力・主な指導者都市の性格・戦略的重要性編集部の歴史的評価ビザンティウム期
(B.C.658年〜A.D.330年)古代ギリシャ・共和政ローマ
ビザス(伝説的創設者)黒海と地中海を結ぶ要衝交易拠点。
地方都市規模。海洋交易ルートを握る軍事要衝として基礎を築いた時代。コンスタンティノープル期
(330年〜1453年)東ローマ帝国(ビザンツ帝国)
コンスタンティヌス1世、ユスティニアヌス1世キリスト教正教会の中心地。
地中海世界の政治・経済・学術の覇権都市。難攻不落の城壁と法制度を確立し、西洋文明の防波堤として機能。コスタンティニエ/イスタンブール期
(1453年〜現在)オスマン帝国〜トルコ共和国
メフメト2世、ムスタファ・ケマル・アタテュルクイスラムとキリスト教が混交する世界帝国首都から、
現代トルコ最大の国際メガシティへ。多民族・多宗教の共生を経て、東西文明の結節点として確固たる地位を維持。
小林 直樹
著者

小林 直樹

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。