なぜ江戸庶民は大山詣りに熱狂したのか?落語のオチと歴史・ご利益の真相

なぜ江戸庶民は大山詣りに熱狂したのか?落語のオチと歴史・ご利益の真相

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江戸時代中期、人口約100万人の江戸の町から、ひと夏だけで約20万人以上(当時の江戸の成人男性の約5人に1人に相当)が大山を目指したと記録されています。封建社会下で庶民の移動が厳しく制限されていた時代に、なぜこれほど爆発的なブームが起きたのでしょうか。

大山詣り 歴史と流行の理由を紐解くと、そこには幕府の移動規制をクリアする「信仰」という名目と、日常生活のストレスを解消したい庶民の「観光欲求」が高度に合致した背景が存在します。江戸から大山までは片道約60km、徒歩で片道2〜3日の手頃な距離感。行き帰りに江の島や鎌倉、金沢八景へ立ち寄る周遊ルートが確立され、庶民にとって「手軽に行ける最高のバケーション」として機能したのです。

このブームを支えた最大の経済的インフラが大山講 仕組みと経緯です。町内や職人仲間でお金を積み立てる「頼母子講(たのもしこう)」を組織し、毎年くじ引きなどで選ばれた代表者(代参者)が仲間全員の祈願を背負って参拝する仕組みでした。宿坊の御師(おし)と呼ばれる宗教者が江戸の町へ出向いて営業活動を行い、宿や食事の手配を一手に引き受けるという、現代のパッケージツアーの原型がすでに完成していました。

また、道中のトレードマークとなったのが納め太刀 意味と由来です。源頼朝が平家打倒の戦勝祈願として大山に太刀を奉納した故事に倣い、庶民たちは安全祈願や商売繁盛を願って木製の太刀を奉納しました。中には長さ数メートルに及ぶ巨大な木太刀もあり、これを仲間たちと高々と担いで東海道や大山街道を行進するパフォーマンスは、一種の都市型カーニバルとして江戸市中でも大きな注目を集めました。

信仰の中心である大山阿夫利神社 ご利益は、山頂に湧き出る神水から「雨乞い」「五穀豊穣」の神として農民に崇められただけでなく、火消しや鳶職人からは「火伏せの神」、商人からは「商売繁盛」、船乗りからは「航海安全」の神として多面的な信仰を集めました。大山は別名「あふり山(雨降り山)」と呼ばれ、常に雲霧をまとう姿そのものが霊威の象徴とされたのです。

石川 優花
著者

石川 優花

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。