日本映画の父と呼ばれる牧野省三率いるマキノ・プロダクションや、当時の映画製作を牽引した日活において、天津七三郎は数多くの時代劇に出演し、独自の足跡を残しました。
当時のマキノは、若き才能たちが集い、従来の型に囚われないスピード感あふれるモダンな演出を次々と試みた実験場でした。その中で天津は、躍動するカメラワークと連動したダイナミックな立ち回りを披露。主役を引き立てる強烈な敵手役から、自らが主演を張る重厚な武士劇まで幅広くこなし、映画ファンから熱狂的な支持を集めました。
天津七三郎の出演作における真骨頂は、「切迫した命のやり取り」をフィルムに刻み込む鬼気迫る表現力でした。単なる段取りとしての殺陣ではなく、相手の刃を紙一重でかわし、重心を低く落として踏み込む足捌きは、後年の時代劇映画におけるアクション演出の基礎骨格となったと批評筋からも高く評価されています。