集英社を出た諫山創氏が次に向かった講談社「週刊少年マガジン」編集部で、運命の歯車が噛み合います。持ち込み原稿を受け取ったのは、当時入社1年目の新人編集者・川窪慎太郎氏でした。
川窪氏は原稿のページをめくった瞬間、強烈な衝撃を受けたと数々のメディア取材で振り返っています。人物のデッサンは崩れ、背景の描き込みも拙い。しかし、それを補って余りある「コマから溢れ出る圧倒的な絶望感」と「読者を圧倒する怨念のような熱量」が原稿に宿っていました。
川窪氏は諫山氏に対し、「絵はこれから練習すれば必ず上手くなる。この熱量は誰にでも描けるものじゃない」とその場で才能を絶賛。同作をすぐさま第81回MGP(マガジングランプリ)に応募させ、見事に佳作を受賞させました。これが諫山創氏にとって商業漫画家としての確かな第一歩となったのです。
しかし、そこからすぐに連載へ直結したわけではありませんでした。週刊少年マガジン本誌の連載会議にネームを提出するも、「ダークすぎる」「週刊連載の絵柄として厳しい」と複数回にわたりボツを経験します。転機が訪れたのは2009年、講談社が新たな月刊誌『別冊少年マガジン』の創刊を決定した瞬間でした。「新雑誌の看板となる、既存の枠に収まらない尖った作品」を求めていた編集部の方針と、諫山氏の温めていた構想が完全に合致。2009年9月発売の創刊号から連載がスタートし、歴史的社会現象へと突き進むことになります。