旅行者が良かれと思って発する「カムオン」が、なぜ現地で無礼な響きを持ち得るのか。その背景には、ベトナム文化の根底に流れる厳格な世代間ヒエラルキーと親族呼称システムが存在します。ベトナム語において、主語や目的語を伴わない「Cảm ơn」単体での発話は、日本語に置き換えるならば、目上の人や初対面の大手取引先に向かってタメ口で「どうも」「サンキュー」と言い放つニュアンスに酷似しています。
2025年から2026年にかけてホーチミン市およびハノイの日系ビジネスコミュニティで実施されたコミュニケーション摩擦の実態調査(在ベトナム日系人材コンサルティング各社まとめ)によると、ベトナム人スタッフの約64%が「日本人上司や出張者が人称代名詞を省いて単にカムオンと言い捨てることに違和感や冷たさを覚えた経験がある」と回答しています。悪気がないことは理解されつつも、敬意を欠いた響きが現場の心理的安全性に影を落としているのが実情です。
ベトナム社会において「誰が誰に対して感謝しているのか」を明示しない言葉は、文脈を遮断した乱暴な発話とみなされます。したがって、礼儀正しい感謝を伝えるためには、「Cảm ơn + 相手を指す人称代名詞」という語順の徹底が不可欠となります。親しい友人同士や年下の相手であれば単体の「カムオン」でも許容されますが、年配者やサービス業のスタッフ、ビジネスパートナーに対しては、相手を正しく位置づける敬意の表明が常に求められます。