目標を見失い漂流していた19歳の頃、遠藤憲一の運命が大きく動きます。たまたま電車内の中づり広告で見かけた劇団の団員募集チラシを目にし、「役者の世界なら面白い女の子と出会えるかもしれない」という不純な動機から養成所の門を叩きました。これが遠藤憲一 俳優デビューの経緯の第一歩となります。
基礎的な演技を学ぶうちに芝居の面白さに目覚めた彼は、演劇界の最高峰と呼ばれていた「無名塾」のオーディションに挑戦します。昭和の大名優・仲代達矢が私財を投じて設立した無名塾は、役所広司や若村麻由美らを輩出した超名門であり、入塾倍率は数十倍から数百倍に達する狭き門でした。学歴不問の実力主義とはいえ、名だたる演劇エリートが集まる中で、高校中退の遠藤憲一は見事に合格を勝ち取ります。天性の存在感と唯一無二の声質が仲代達矢の目に留まった瞬間でした。
ところが、入塾からわずか10日余り(一説には1週間程度)で遠藤は無名塾を突如として去ることになります。この電撃的な遠藤憲一 無名塾 退所理由について、本人は以下のようにユーモアを交えて明かしています。
「無名塾は毎朝早くから集合して、長距離のランニングや発声練習、劇場の徹底的な雑巾がけなど、軍隊並みに厳しい規律があった。高校の通学すら嫌で辞めた自分にとって、その集団行動と厳しさは息が詰まるものだった。ある朝、稽古場へ向かう足が止まり、そのまま逃げ出してしまった」
衝動的な脱走劇ではあったものの、後年ブレイクを果たした遠藤は仲代達矢と再会した際、若気の至りを深々と謝罪。仲代は怒るどころか「お前はあのまま塾に残っていたら、小さくまとまっていたかもしれない。外で揉まれて立派になったな」と温かく迎え入れ、師弟の絆は時を超えて修復されました。