『茶の本』は全7章で構成されており、単なる茶器や茶室の解説ではなく、東洋哲学の根底にある宇宙観と人間存在のあり方を段階的に解き明かしていきます。難解な古典として敬遠されがちな本書の骨子を、わかりやすく整理して解説します。
第1章「人情の杯(The Cup of Humanity)」では、茶道が「日常生活の俗事の中に美を見出す審美的な宗教(Teaism)」であると定義され、東西両世界の相互理解の必要性が説かれます。続く第2章「茶の流派(The Schools of Tea)」では、唐代の「煎じ茶(古典派・陸羽)」、宋代の「点て茶(ロマン派)」、明代の「淹れ茶(自然派)」という茶の歴史的変遷を辿り、精神的純化を極めた宋代の抹茶文化が日本で継承された経緯が語られます。
本書の思想的核となるのが第3章「道教と禅(Taoism and Zennism)」です。天心は、茶道の哲学的前提として中国の老荘思想(道教)と禅宗を位置づけました。道教における「変化の中にこそ調和を見出す動的な生き方」と、禅における「日々の雑事そのものが悟りである」という実践論が融合し、日本の茶の湯が成立したと論じます。
続く第4章「茶室(The Tea-room)」では、四畳半の極小空間に込められた「数寄屋(好き家=好みに応じて建てる家/空き家=何もない無の世界/不相応の家=不完全の美)」の概念が提示されます。完璧な左右対称を人工的として退け、余白や欠落の中に想像力の余地を見出す非対称の美学は、まさに「侘び寂び」の本質そのものです。第5章「芸術鑑賞(Art Appreciation)」では、芸術とは鑑賞者の心と呼応して初めて完成する動的な対話であると説かれます。
さらに第6章「花(Flowers)」では、花を生ける行為に伴う人間のエゴイズムとそれへの深い哀惜が綴られ、結びとなる第7章「茶の宗匠(Tea-Masters)」において、千利休の切腹という壮絶な最期が描かれます。権力に屈することなく、美の純粋性を守り抜くために自らの命を捧げた茶人たちの生き様を通じて、天心は「美のために生き、美のために死ぬ」という究極の実存的覚悟を読者に突きつけます。