二代目中村獅童さんの実父である初代中村獅童(本名:小川三喜雄=おがわ・みきお、1927年–2008年)さんは、昭和の名女形として名を馳せた三代目中村時蔵の三男として生を受けました。幼少期より舞台に立ち、将来を有望視された御曹司の一人でしたが、終戦直後の昭和20年代初頭、20代前半という若さで自ら歌舞伎の舞台を降りました。
関係者の記録や当時の演劇界の資料によると、歌舞伎界廃業の経緯には複数の決定的な要因が重なっていました。第一に、兄弟間の圧倒的な才能と配役の兼ね合いです。長男の四代目中村時蔵、次男の萬屋錦之介(当時は初代中村錦之助)、四男の中村嘉葎雄という傑出した兄弟に囲まれる中、三喜雄さんは自身の役者としての資質や将来像に強い葛藤を抱えていました。
第二に、当時の歌舞伎界を取り巻く経済的困窮と映画全盛期の到来です。戦後、兄の錦之介さんや弟の嘉葎雄さんが次々と東映時代劇映画へ進出して国民的スターへと駆け上がる一方、三喜雄さんは華やかな表舞台よりも堅実な社会生活を望み、きっぱりと役者を廃業して銀行員や一般企業勤めという全く異なる職業を選びました。
公の記録によると、三喜雄さんは後年、兄・錦之介さんが設立した「中村プロダクション」の専務取締役などを務め、ビジネスの現場から兄弟の芸能活動を支えました。役者の道を潔く諦め、裏方として一族を支える実務肌の生き方を選んだことこそが、初代獅童という人物の誇り高い決断でした。