A級戦犯一覧と処刑7名の運命|岸信介不起訴の真相と靖国合祀の全貌

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1946年4月、極東国際軍事裁判所の首席検察官ジョセフ・キーナンらによって起訴されたA級戦犯被告は合計28名でした。法廷が開かれた旧陸軍士官学校の大講堂(市ヶ谷)に並んだのは、元首相、陸海軍の将官、外相、内大臣、官僚トップら、大日本帝国の意思決定中枢を担った人物たちです。

しかし、2年半に及ぶ審理の最中に、元外相の松岡洋右と元海軍大将の永野修身が病死。さらに国家主義思想家の大川周明は、法廷で東條英機の頭を後ろから叩くなどの異常行動を見せ、精神障害(梅毒性精神病)と診断されて公判停止となり、最終的に判決を受けたのは25名でした。1948年11月12日に下された判決の内訳は、絞首刑(死刑)7名、終身禁錮16名、有期禁錮2名です。

項目詳細・数値データ一般的な基準・相場編集部の見解・評価絞首刑(死刑)執行者計7名
東條英機、広田弘毅、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章開戦責任・捕虜残虐行為の双方に関与した軍最高首脳が中心唯一の文官である広田弘毅の死刑判決は、11名中6対5という僅差の多数決によるものであり、現代でも量刑妥当性が激しく問われている。終身禁錮判決者計16名
荒木貞夫、平沼騏一郎、星野直樹、賀屋興宣、木戸幸一、小磯国昭、南次郎、岡敬純、大島浩、佐藤賢了、嶋田繁太郎、白鳥敏夫、鈴木貞一、畑俊六、梅津美治郎、橋本欣五郎国家中枢枢要ポストの歴任者。全員が無期懲役相当小磯、梅津、白鳥らは獄死したが、生き残った大多数は1950年代半ばまでに仮釈放・減刑され、政財界へ復帰した。有期禁錮判決者計2名
東郷茂徳(禁錮20年・獄死)
重光葵(禁錮7年)開戦回避や早期和平に尽力した外交官グループ重光葵は仮釈放後に政界復帰し、鳩山一郎内閣の副総理兼外相として日本の国際連合加盟を実現させた。不起訴・釈放者(容疑者)逮捕者100名以上、未起訴釈放約19名
岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、安倍源基、鮎川義介ら第2次・第3次裁判の被告として巣鴨プリズンに長期収監東條らの処刑翌日(1948年12月24日)に電撃釈放。東西冷戦の激化により米国の対日政策が「非軍事化」から「反共の防波堤」へ転換した象徴。

死刑執行を受けた7名の中で、特に歴史家の間で異例とされるのが元首相の広田弘毅です。広田は南京事件当時の外相であり、閣議で軍部の暴走を止められなかった「不作為の責任」を問われました。絞首刑を告げられた瞬間も表情を崩さず、処刑台でも従容として従った彼の姿は、多くの裁判関係者に深い疑義と衝撃を残しました。

阿部 裕樹
著者

阿部 裕樹

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。