なぜこれほどまでに長い名字が生まれたのか、その背景には千年以上におよぶ日本の官職制度と居住地の命名文化が深く関わっています。
まず、勘解由小路 由来を紐解くと、平安時代初期に新設された令外官(りょうげのかん)である「勘解由使(かでのし・かげゆし)」に行き着きます。勘解由使とは、国司が交代する際に前任者の行政成績を審査し、不正を防ぐ「解由状(げゆじょう)」を監査した重要ポストでした。その役所(勘解由使庁)が存在した平安京の通りが「勘解由小路」と呼ばれるようになり、そこに邸宅を構えた公家・藤原北家日野流の一門が、居住地を家名(名字)として名乗ったのが発祥です。
公家社会において名字は、皇族や名門藤原氏の中で個々の家柄を識別するための「屋形号」として発展しました。室町期から江戸期にかけて烏丸家から分家した勘解由小路家は、名家として朝廷に仕え、明治維新後には子爵に叙せられました。歴史の荒波を越えて現代に受け継がれる極めて高貴なルーツを持っています。
一方の「左衛門三郎」は、武家社会における通称文化に根ざしています。朝廷の警護を担った「左衛門府」の官名と、男子の出生順を示す「三郎」を組み合わせた「百官名(ひゃっかんな)」が、中世の土豪や地頭の家督名として固定化し、明治8年(1875年)の「平民苗字必称義務令」の際に正式な戸籍上の名字として届出されたと考えられています。権威の象徴であった職名や通称がそのまま苗字へと昇華した歴史の証人と言えます。