高橋一生が『耳をすませば』のオーディションに臨んだのは、劇団に入団して子役として活動していた中学3年生、当時14歳の春でした。映画初出演となった1990年の『ほしをつぐもの』などで着実に経験を積んでいたものの、アニメーションのアフレコという未知の領域に対し、本人は特別な気負いなく自然体で挑んだと後のインタビューで述懐しています。
スタジオジブリの制作現場において、近藤喜文監督と脚本・絵コンテ・プロデュースを務めた宮崎駿氏が求めていたのは、職業声優による完成された技巧ではなく、「思春期特有の未成熟さやぎこちなさ、等身大のリアリティ」でした。オーディションテープに収められた高橋一生の飾り気のない発声、生意気さと繊細さが同居した語り口が、制作陣がイメージする「天沢聖司そのもの」として即座に白羽の矢が立ったのです。
そして、映画史における最大のハイライトとも言えるのが「声変わり」をめぐるドラマです。報道番組や映画特番の取材記録によると、アフレコ収録が行われたのは声変わりが始まるわずか1〜2週間前という絶妙なタイミングでした。収録を終えて間もなく彼の声は低音へと変化し、もし制作スケジュールが半月ずれていれば、私たちが今耳にしているあの透明感あふれる天沢聖司の声はこの世に存在しなかったことになります。まさに時間の不可逆性が生み出した奇跡の芸術的記録でした。