Q1:ゴイアニア被曝事故の青い粉を最初に医師へ届けたのは誰ですか?
A1:スクラップ工場主の妻であったマリア・ガブリエラ・フェレイラです。彼女は家族や従業員が相次いで体調を崩した原因が粉末にあると直感し、1987年9月28日、粉末が入ったカプセルをビニール袋に入れてバスに乗り、地元の公衆衛生局へ持ち込みました。この勇気ある行動によって事故が公に発覚し、それ以上の市中拡散が食い止められました。しかし彼女自身も重度の被曝を受け、同年10月23日に37歳で亡くなっています。
Q2:被曝した人たちの治療にはどのような薬が使われましたか?
A2:体内に取り込まれたセシウム137を体外へ排泄促進するため、解毒剤として「プルシアンブルー(ヘキサシアノ鉄酸鉄水和物)」が大量に投与されました。プルシアンブルーは消化管内でセシウムイオンと結合し、便とともに排出させる効果があります。この薬剤の大規模投与により、多くの重症患者の体内残留線量を大幅に減少させることに成功しました。
Q3:事件を起こした医療関係者や土地所有者は刑事罰を受けましたか?
A3:事故後、IGRの医師ら複数名が過失致死傷罪で起訴され、1996年に禁錮刑(後に社会奉仕活動等へ減刑)の判決が下されました。また、ブラジル連邦政府およびゴイアス州政府にも管理監督責任が認められ、被害者に対する医療支援や年金補償の支払いが命じられました。
Q4:2026年現在のゴイアニア市の状況はどうなっていますか?
A4:徹底した除染作業により、ゴイアニア市街地の空間放射線量は通常の自然放射線レベルに戻っており、現在はブラジル中西部の主要都市として安全に機能しています。解体された現場跡地の一部は広場や公共施設になっています。一方、撤去された約6,000トンの汚染物質は郊外のアバディア・デ・ゴイアスにある「放射性廃棄物最終貯蔵施設」で厳重に保管されており、半減期約30年のセシウム137の完全な減衰を待つ長期管理体制が現在も敷かれています。