武家諸法度は単なる警告ではなく、違反者には「改易(領地・城の没収、大名家の取り潰し)」や「減封(領地削減)」という冷酷な制裁が容赦なく下された。幕府はこの法をフル活用し、大名統制を急速に強めていった。
最も有名な事例が、広島城主であった福島正則の改易事件(1619年)である。賤ヶ岳の七本槍として武名を馳せた大物武将であったが、台風で壊れた広島城の石垣を幕府の正式な許可が出る前に修理したとして、元和令違反を問われて信濃国へ減封・改易された。
さらに、徳川初期の重臣であった本多正純が城の無断修理や謀反の嫌疑で改易されたほか、加藤清正の嫡男である加藤忠広も熊本54万石を没収されている。
こうした過酷な処分の背景には、法を厳格に適用することで全国の大名に恐怖を植え付ける「見せしめ」の意味があった。取り潰した大名の領地は幕府の直轄領(天領)や信頼できる譜代大名に再配分され、幕府の経済基盤と軍事的要衝の防衛が同時に強化されていったのが改易の冷徹な真相である。