一般の読者の間では「コメディタッチの小説はシリアスなサスペンスより執筆が容易なのではないか」という誤解が少なからず存在します。しかし、出版関係者や同業作家の証言を辿ると、事実はその正反対であることが分かります。
ユーモアミステリは、「論理的な伏線の正確な配置」と「読者を脱力させるギャグの間合い」という、相反する2つの要素を同時に成立させなければならない極めて過酷なジャンルです。シリアスな作品であれば、陰鬱な描写や心理サスペンスで読者の注意を惹きつけることができます。しかし、ギャグを挟みながら事件の手がかりをフェアに提示する場合、少しでも匙加減を誤れば「ふざけすぎて謎解きが破綻している」と読者に見限られてしまいます。
東川作品の盲点として見落とされがちなのは、彼が描くトリックの多くが「図面を引いて検証された精密機械のような物理トリック」である点です。軽妙な語り口の裏側には、緻密に計算された死角の配置、時間差のギミック、そして読者の盲点を突く錯視的ロジックが張り巡らされています。ネット上で「単なるライトノベル風の読み物」と見なす言説があれば、それは著者が心血を注いだロジックの精度を読み落とした表面的な見解と言わざるを得ません。