『耳をすませば』の監督を務めた名匠・近藤喜文。彼の卓越した観察眼は、聖司というキャラクターの「完璧すぎない造形」に見事に結実している。
聖司は勉強もできて家業も手伝い、容姿端麗でバイオリンまで弾ける。一見すると少女マンガの理想像そのものだ。だが近藤監督は、彼に絶妙なカッコ悪さを同居させた。雫を自転車の後ろに乗せて急坂を登る際、息を切らし、足をもたつかせながらペダルを踏み込むあのカット。宮崎駿による脚本のダイナミズムを、近藤喜文のリアリズムが地に足の着いた人間のドラマへと昇華させた瞬間だ。
『耳をすませば』の監督を務めた名匠・近藤喜文。彼の卓越した観察眼は、聖司というキャラクターの「完璧すぎない造形」に見事に結実している。
聖司は勉強もできて家業も手伝い、容姿端麗でバイオリンまで弾ける。一見すると少女マンガの理想像そのものだ。だが近藤監督は、彼に絶妙なカッコ悪さを同居させた。雫を自転車の後ろに乗せて急坂を登る際、息を切らし、足をもたつかせながらペダルを踏み込むあのカット。宮崎駿による脚本のダイナミズムを、近藤喜文のリアリズムが地に足の着いた人間のドラマへと昇華させた瞬間だ。