徳川慶喜を単なる「写真好きの名士」として片付けることは、日本の視覚文化史において不当な過小評価と言わざるを得ない。彼が精力的に撮影と技術検証を繰り返した時代は、まさに黎明期の日本写真史における技術的転換点と完全に合致している。写真館による肖像写真の撮影が主流だった明治中期、屋外に出て自然光を読み、スナップショット的な瞬間を切り取った慶喜の手法は、極めて前衛的だった。
慶喜による旺盛な機材輸入と特注品の注文は、勃興期にあった日本の写真・光学機器産業の職人たちに多大な刺激を与えた。海外製の最新乾板を取り寄せ、現像薬品の純度を追求したその情熱は、当時の技術者たちにとって最高水準の実証実験でもあった。日本の近代写真表現の礎には、間違いなくこの元将軍の探求心が刻まれている。