SNSやネット掲示板を調査すると、「昔食べたマトンがゴムのように硬く、異臭がしてトラウマになった」という声が今なお散見されます。マトンがまずいと言われる理由には、生物学的な脂質の性質と、日本の食肉輸入史における構造的背景という2つの明確な理由が存在します。
まず科学的側面から見ると、羊肉の臭みの原因と理由は、草食動物特有の反芻消化プロセスに起因します。羊が食べた牧草の葉緑素(クロロフィル)は、第1胃(ルーメン)に生息する微生物によって分解され、「フィトール」という化合物へと変化します。これが体内で代謝される過程で、分岐鎖脂肪酸(BCFA:4-メチルオクタン酸や4-メチルノナン酸など)が生成され、皮下脂肪に蓄積されます。
この分岐鎖脂肪酸こそが、人間が「羊臭い」と感じるアロマ成分の根源です。乳歯のラムでは蓄積量がわずかですが、2年以上にわたり牧草を食べ続けたマトンでは濃度が格段に高まり、加熱時に独特の強い芳香を放ちます。
これに拍車をかけたのが、昭和期から平成初期にかけての輸入流通体制です。当時、日本に輸入されていたマトン肉の多くは冷凍状態で船便輸送され、店頭に並ぶまでに長期間を要していました。その結果、冷凍焼けによる肉質の劣化や、解凍時の急激なドリップ流出に伴う脂質の酸化が進行。「劣化した酸化脂肪の悪臭」が羊肉本来の風味と混ざり合い、「マトン=不快な臭気」という不名誉なレッテルを定着させてしまったのです。
現在では、マイナス1℃前後の凍結寸前温度を精密に保つ「氷温チルドコンテナ」による空輸および高速海上輸送技術が確立されています。酸化を防ぎつつ適正に熟成された現代のマトンは、嫌な臭気ではなく、深みのあるナッツや干草を思わせる「熟成香」として高く評価されています。