泉房穂氏の政治信条を理解する上で欠かせないのが、類まれなキャリア形成と、その根底にある幼少期の強烈な原体験です。1963年に兵庫県明石市の貧しい漁師町に生まれた泉氏は、地元の県立明石城西高校から東京大学教育学部へ進学。卒業後はNHKに入局し、ドキュメンタリー番組のディレクターとして過酷な現場取材を経験しました。
しかし、メディアの内部から社会の不条理を報じるだけでは現実を変えられないという葛藤を抱え、NHKを退職。司法試験に挑戦して一発合格を果たし、弁護士としての道を歩み始めます。さらに、不正追及の鬼として知られた故・石井紘基衆議院議員の思想と行動に深く共鳴し、政策秘書を務めたのちに自らも衆議院議員を1期務めるなど、報道・司法・立法の三権すべてを実体験として知る稀有な経歴を築き上げました。
彼を福祉と弱者救済の鬼へと駆り立てる原点は、家庭環境にありました。泉氏には生まれつき重度の身体障害を抱えた4歳下の弟がおり、幼い頃から行政の冷たい窓口対応や周囲の差別の目に晒されてきました。「冷たい社会を、子どもや弱者に優しい温かい社会に変える」という誓いは、机上の空論ではなく、血の滲むような生活実感から生まれたものです。
私生活における家族構成は、長年彼を支え続けてきた妻と、1男1女の4人家族です。過密な公務や過激な政治闘争の中でも、家庭内では穏やかな父親であり、とりわけ妻への深い感謝と信頼は自著や講演でも度々明かされています。家族という最も身近な共同体の温かさを知る人間だからこそ、孤独に追い込まれる子育て世代の痛みに誰よりも敏感であったと言えます。