作中で描かれる猗窩座の感情表現は、基本的に「強者への敬意」と「弱者への侮蔑」で構成されています。竈門炭治郎や煉獄杏寿郎に対して見せた武道家としての関心とは対照的に、同族の頂点に近い童磨に対しては、初対面の段階から一切の対話を拒絶するほどの激しい憎悪を露わにしています。この異常な不仲には、明確な4つの構造的要因が存在します。
第一の要因は、「感情の完全な欠如に対する本能的嫌悪」です。童磨は生まれながらにして人間の喜怒哀楽を持たず、親愛の情を装いながら他者を欺くサイコパス的性質を帯びています。猗窩座は鬼でありながら根底に「嘘や欺瞞を嫌う実直さ」を残しており、童磨の「猗窩座殿〜!」「俺たち親友だろ?」といった馴れ馴れしい虚飾の態度が、生理的・心理的な耐え難いストレスとなっているのです。
第二の要因として挙げられるのが、「女性捕食に対する根本的な価値観の衝突」です。公式ファンブック『鬼殺隊見聞録・弐』でも明かされている通り、猗窩座は鬼の中で唯一「女性を喰わない・殺さない」特権を鬼舞辻無惨から黙認されていました。一方の童磨は「女性は腹の中に赤ん坊を育てる栄養があるから、男よりずっと力になる」と公言し、若い女性を好んで大量捕食することで急激に力を伸ばしました。自らの血肉となる規律を軽蔑され、己の信念を愚行と笑われる構図が、二人の間に修復不能な溝を刻んでいます。
第三に、「後輩鬼による序列の追い越し」という武人としての屈辱です。童磨が鬼になったのは約133年前とされており、江戸時代前期から百年以上にわたり無惨の直属として修練を重ねてきた猗窩座よりも後発でした。しかし、効率重視で女性を貪り食った童磨は短期間で急成長を遂げ、上弦の弐の座を強奪。ストイックな鍛錬を重んじる猗窩座にとって、これほど許しがたい屈辱はありません。
そして第四に、「心理的境界線(バウンダリー)の土足による蹂躙」です。童磨は猗窩座が嫌がれば嫌がるほど、肩に手を回したり笑顔で顔を近づけたりと、パーソナルスペースへ無断で侵入します。心理学において「境界線侵犯者」と呼ばれるこの振る舞いは、誇り高き孤高の精神を持つ人間にとって最も激しい防衛的怒りを引き起こす引き金となります。