志苔館を築き、この地を治めていたのは越後出身と伝わる豪族・小林氏でした。記録によれば、15世紀半ばの館主は小林良景(こばやし よしかげ)とされています。当時、志苔は本州との日本海・津軽海峡交易の中継基地として大いに繁栄していました。
しかし、和人の勢力拡大に伴う不平等な交易や圧迫に対し、アイヌ民族の不満が爆発します。1457年(長禄元年)、首長コシャマインを中心に蜂起した大規模な戦乱であるコシャマインの戦いが勃発しました。アイヌ軍の猛攻の前に道南十二館は次々と陥落し、東の最前線であった志苔館も激戦の末に落城、小林良景は敗走を余儀なくされました。
その後、和人勢力は蠣崎氏(後の松前氏)の祖先である武田信広らの活躍によって勢力を挽回し、志苔館も奪還・再建されたと伝わります。しかし、1512年(永正9年)に再びアイヌの蜂起によって攻め落とされ、やがて館としての役目を終えていきました。