山口智子が「子供を持たない人生」を強く望むようになった根底には、彼女が育った複雑な家庭環境と生い立ちの影が色濃く影響しています。
山口智子の実家は、栃木県栃木市で江戸時代から続いた老舗旅館「鯉保(こいやす)」(2005年廃業)でした。格式ある名門旅館の長女として生まれた彼女は、幼い頃から家業と「家制度」の重圧に囲まれて育ちました。日々の暮らしの中には常に仲居や番頭、大勢の出入り業者があり、いわゆる「一般的な家庭の温もり」を享受する環境とは程遠い日常でした。
さらに決定的な出来事となったのが、小学校1年生のときに訪れた両親の離婚です。家庭内不和の末、実母と妹は家を去り、山口智子は父方の祖母に引き取られて育てられました。後年のインタビューや手記において、彼女は当時の複雑な心境を次のように述懐しています。
祖母は深い愛情を注いでくれた存在である一方、血のつながった母親の不在や、大人の事情によって引き裂かれた家庭のあり方は、幼心に深い傷を残しました。「血縁という呪縛」や「親という役割の不条理」を幼少期から目の当たりにしてきたことで、彼女の中に「自分自身が親になり、子供を育てるという実感がまったく湧かない」という決定的な感覚が根付いたと分析されています。
彼女にとって家族とは、血のつながりによって自動的に成立するものではなく、自らの意思と信頼によって一から築き上げる精神的な結びつきそのものでした。家業の重圧や血縁関係に翻弄された幼少期の記憶が、自立した個人としての生き方を希求する原動力となったのです。