時計の針を2004年3月に戻す。アテネ五輪野球日本代表の監督として金メダル獲得に並々ならぬ執念を燃やしていた最中、悲劇は突然訪れた。脳梗塞の発症。右半身の麻痺と言語障害という重い後遺症が、稀代のスーパースターの肉体を容赦なく襲った。
指揮官としての五輪出場断念は、本人にとっても球界にとっても断腸の思いだったに違いない。だが、絶望の淵に立たされながらも、ミスターの瞳から光が消えることはなかった。「もう一度グラウンドに立つ」。その強烈な意志だけが、先の見えない暗闇を照らす唯一の標(しるべ)となった。