裁判長の説諭を受け、被告は罪を背負いながら生き直す道を模索しました。判決確定後は、支援者の助けを借りてアパートで一人暮らしを始め、木炭を製造する工場などで真面目に勤務を続けていました。母の遺骨を手元に置き、毎日のように手を合わせていたと伝えられています。
しかし、最愛の母を自らの手で奪ったという深い罪悪感と喪失感が消えることはありませんでした。職場での人間関係や体調悪化が重なり、退職を余儀なくされた彼は、次第に再び社会から孤立していきます。
事件から8年半が経った2014年8月、滋賀県大津市の琵琶湖岸で、息子の水死体が発見されました(享年62)。身元確認の所持品からは「母のところへ行きます」という趣旨の遺書が見つかり、母と同じ墓所に埋葬されることを望む言葉が記されていました。温情判決によって社会に戻された命を、孤立と自責の念から救い続けることはできなかったのです。