手紙の流出後、和子さんは深沢の自宅を出て別居状態に入り、東京家庭裁判所へ離婚調停を申し立てました。しかし、プライドと政治的影響力を重んじる小沢氏側との間で条件面が折り合わず、事態は東京地方裁判所・東京高等裁判所へと続く本格的な法廷闘争へと突入しました。
裁判において最も小沢氏にとって痛手となったのは、3人の息子(長男・次男・三男)が完全に母親の味方についたことです。長年、父の強権的な振る舞いや母への不誠実な対応を間近で見てきた息子たちは、父親との接触を絶ち、母親の生活と法廷闘争を全面的に支援しました。
政治家一族において、後継者となるべき息子たち全員から絶縁された事実は、小沢氏の「世襲政治の終焉」を意味していました。裁判は数年に及ぶ審理の末、実質的な和解・合意条項の成立によって法的に離婚が確定。名門政治家一家の家庭は完全に離散する結末を迎えました。