世間から祝福を受けてスタートした新婚生活でしたが、その平穏は長くは続きませんでした。婚姻届の提出からわずか半年ほどで別居状態となり、1986年5月に正式な離婚成立が発表されます。かつて一部メディアでは「多忙によるすれ違い」「文化の違い」と簡潔に片付けられていましたが、離婚原因の真相には極めて痛切な事情が存在していました。
最大の転機となったのは、結婚直後に判明した妊娠と、その後に起きた悲痛な流産(死産)の経験でした。異国の日本で日本語も不自由な中、水谷豊は年間を通じてドラマや映画の撮影に追われ、家を空ける日が続きます。見知らぬ土地で1人取り残されたミッキー・マッケンジーの孤独感と、我が子を失った喪失感は計り知れない深さでした。
後にミッキー・マッケンジーが発表した著書や自伝的手記『タイ・ブレイク』などでも、当時の張り詰めた心理状態が生々しく告白されています。体調の悪化や精神的なプレッシャーから次第に夫婦間の対話が失われ、心の距離を取り戻すことが困難になっていったプロセスが克明に綴られていました。二人の間に子供はいませんでしたが、それは愛情の欠如ではなく、乗り越え難い哀しい試練の結果であったことが判明しています。