グラウンド外の女性問題は、やがて球団の運営にまで深刻な影を落とします。1970年から選手兼任監督としてチームを率いていた野村氏に対し、沙知代氏は次第にチームの選手起用やフロント業務にまで介入するようになりました。
ベンチ裏への出入りや選手への直接的な口出しに対し、当時の主力選手であった門田博光氏や江夏豊氏をはじめとするチームメイトが不信感を募らせます。チームの統率が乱れる中、1977年シーズン終盤、当時の南海ホークスオーナー・川勝傳氏は野村氏の電撃解任を決断しました。
解任理由として突きつけられたのが、沙知代氏を巡る「公私混同」でした。解任会見で野村氏が残した「野球を取ったら俺には何もない」という悲痛な言葉は球史に残る名言となりましたが、その背景には家庭崩壊と愛人関係の暴走という重い現実が存在していました。