プロ野球の歴史において、シーズンの本塁打記録争いほどファンの胸を熱くさせ、同時に打者本人を極限まで追い詰める舞台はありません。長年、王貞治氏(1964年)、タフィ・ローズ選手(2001年)、アレックス・カブレラ選手(2002年)が並んでいた「シーズン55本」という壁は、日本球界における一種の聖域として語り継がれてきました。
その扉をこじ開けたのが、2013年のウラディミール・バレンティン選手(当時東京ヤクルトスワローズ)でした。バレンティン 60本 経緯を振り返ると、9月15日の阪神戦で56号・57号を連発し、瞬く間に記録を塗り替えましたが、その裏には異国で戦う助っ人外国人としての孤独と、毎打席勝負を避けられるのではないかという疑心暗鬼がありました。当時の報道関係者の証言によると、ベンチ裏でのバレンティン選手は極度の神経過敏に陥り、食事も喉を通らないほどの精神状態にあったと伝えられています。プレッシャーを跳ね除けて到達した「60本」は、歴史に残る大偉業です。
一方、2022年に日本人シーズン最多記録を塗り替えた村上宗隆選手(当時ヤクルト)の村上宗隆 56本 記録達成劇も、壮絶な人間ドラマでした。55本目を放ってから王貞治氏の記録に並んだ後、56号が生まれるまでに要した打席数は実に「48打席」。全メディアのカメラが毎打席ごとにクローズアップし、日本中が固唾を飲んで見守るなか、迎えたシーズン最終戦(10月3日・対DeNA)の最終打席で放たれたライトスタンド上段への劇的な一発は、重圧から解放された若き主砲の涙とともにファンの記憶に焼き付いています。