上九一色村の現在とサティアン跡地の今|分割合併の真相と消滅の歴史

上九一色村の現在とサティアン跡地の今|分割合併の真相と消滅の歴史

上九一色村の現在とサティアン跡地の今|分割合併の真相と消滅の歴史にまつわる役立つ知識を詳しく紐解きます。

インターネットの掲示板やSNSでは、今なお「オウムの汚名を消すために村の名前ごと消滅させた」「忌まわしい記憶を隠蔽するための分割合併だった」という言説が散見されます。しかし、公的記録や住民協議の議事録を精査すると、この見方は一面的すぎる俗説であることが分かります。

当時の報道記録や山梨県による合併協議資料を紐解くと、合併の最大の論点は一貫して「住民生活の実利と利便性」でした。もし「上九一色村の名前を消すこと」だけが目的であったなら、村全体で甲府市、あるいは村全体で富士河口湖町に合流すれば済む話です。

しかし、北部住民に「富士河口湖町へ行け」と言えば、生活圏から外れた南都留郡の役場へ何十キロも山を越えて通わねばならず、南部住民に「甲府市へ行け」と言えば、観光施策や富士五湖振興において甲府盆地主導の政策に埋没しかねないという切実な反発がありました。住民意向調査や協議を重ねた末、「行政のエゴではなく、暮らす人間の動線を最優先する」という苦渋の決断として導き出されたのが、南北の分割合併だったのです。

オウム事件による風評被害が合併を急がせる一因になったことは否定できません。しかし、村を消滅させた真因は、明治の町村制施行以来抱え続けてきた「地形的な南北の分断」という構造問題でした。

阿部 裕樹
著者

阿部 裕樹

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。