一瞬にして家族や我が子を奪われた遺族たちの苦しみは、四半世紀が過ぎた今も癒えることはありません。事故当時、妻や子を亡くしながら自らは生き残った男性生存者もおり、その精神的打撃は計り知れないものでした。
事故後には、多額に上った捜索・救助費用(自衛隊派遣や重機投入など)を「当事者に自己責任として請求すべきではないか」という議論が巻き起こりました。法的には公的救助費用を個人の過失で全額請求することは原則困難とされましたが、この世論の過熱は「自己責任」という言葉が日本社会で広く問われる大きな転換点となりました。
遺族の一部は現地での慰霊を続けながらも、世間からの激しいバッシングの余波に怯え、メディアへの露出を断ち切って深い哀しみの中で年月を過ごしています。