ネット上の旅行掲示板やSNSでは、「温泉大国を謳いながら、なぜ草津・有馬・下呂の三名泉に別府が入らないのか」「別府こそが真の王者ではないのか」という論争が定期的に巻き起こります。しかし、この疑問自体が「時代背景の錯誤」から生じている盲点です。
万里集九が『梅花無尽蔵』を著したのは15世紀末の室町後期、林羅山がそれを紹介したのは17世紀初頭の江戸初期です。当時、文化の政治的中心は畿内(京都・大坂)から江戸へと移行する過渡期にありました。京から江戸へ向かう街道筋、あるいは近畿圏から旅路として把握できる範囲に位置していたのが、上野国(群馬)の草津、摂津国(兵庫)の有馬、飛騨国(岐阜)の下呂だったのです。
当時、九州の別府や由布院は、中央の文化人にとって海路と険しい山道を経なければ到達できない遥か彼方の地でした。「三名泉に選ばれなかったのは泉質や湧出量で劣っていたからではなく、単に当時の知識人の行動半径の外側に位置していたから」という地政学的制約が歴史的な真実です。
また、現代の旅行予約サイトが発表する「人気温泉地ランキング」は、年間宿泊客数やクチコミ評価、アクセス利便性をスコア化したものです。そこでは首都圏から近い箱根や熱海、巨大な受け皿を持つ別府が常にトップ争いを繰り広げます。この「現代の人気・集客力ランキング」と「室町・江戸時代の文化的権威」がインターネット上で無差別にミックスされた結果、「日本三大温泉の定義が人によって違う」という奇妙な錯覚が固定化してしまいました。