クラマー氏の情熱は、1964年の東京五輪で劇的な成果を生み出します。グループリーグ初戦、強豪アルゼンチンを相手に先制を許す苦しい展開の中、日本代表は後半に怒涛の反撃を見せて3-2の逆転勝利を収めました。世界を驚愕させたこのベスト8進出は、日本サッカーが国際舞台で刻んだ最初の金字塔です。
この大躍進の裏には、クラマー氏が注入した「走力」と「ボールを止めて蹴る基本技術の徹底」がありました。長沼健監督や岡野俊一郎コーチを戦術・心理面から献身的に支え、選手一人ひとりのメンタリティを徹底的に鍛え上げたのです。
東京五輪後、クラマー氏はFIFAのチーフインストラクターに就任するため日本を離れますが、彼が蒔いた種は1968年のメキシコ五輪で見事に大輪の花を咲かせます。当時まだ若手だった釜本邦茂氏の類まれな得点感覚を見抜き、世界基準のストライカーへと導いたのもクラマー氏でした。メキシコ五輪でアジア勢初となる銅メダルを獲得し、釜本氏が得点王に輝いた瞬間、選手たちは真っ先にドイツにいる恩師クラマー氏へ感謝の電報を送ったというエピソードはあまりにも有名です。