広島藩の歴史の真相|浅野家統治と薩長芸同盟の舞台裏を徹底解説

広島藩の歴史の真相|浅野家統治と薩長芸同盟の舞台裏を徹底解説

広島藩の歴史の真相|浅野家統治と薩長芸同盟の舞台裏を徹底解説の基本情報から最新動向までを徹底的にカバーしました。

幕末の動乱期における広島藩の立場は、後世の通俗的な歴史小説などにおいて「薩長と幕府の間で態度を決め兼ねた日和見主義」と誤認されがちです。しかし、公文書や藩士の書簡など一次史料の緻密な検証によって、その評価は180度覆りつつあります。

隣国・長州藩と国境を接していた広島藩は、文久から慶応年間にかけての長州征伐において最前線の調停役を担いました。広島藩の執政・辻将曹(つじしょうそう)らは、幕府軍と長州軍の全面衝突による国土の焦土化を避けるため、粘り強い平和調停活動を展開。この交渉力は慶応3年(1667年)9月の薩長芸三藩盟約へと結実します。

この盟約は、薩摩藩(西郷隆盛・小松帯刀)、長州藩(木戸孝允・広沢真臣)、広島藩(辻将曹・神田孝平)の三藩が京都で調印した軍事・政治協定です。通説では「薩長同盟」ばかりが強調されますが、長州藩が朝敵とされていた当時、公然と上京して朝廷や幕府と折衝できる大藩は広島藩のみでした。広島藩が介在したからこそ、武力倒幕の準備と並行して徳川慶喜に対する「大政奉還」の建白を主導し、無用な内戦を最小限に抑えつつ立憲的な新政体を目指す道筋が敷かれたのです。

佐藤 大輔
著者

佐藤 大輔

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。