青春歌謡の美少年として華々しくデビューしたものの、1作目は期待されたほどの爆発的ヒットには至りませんでした。そこで所属レコード会社(日本クラウン)のディレクターが美川憲一の持つ独特の「低音でハスキーな中性ボイス」と「どこか哀愁を漂わせる陰影のある美貌」に着目し、大胆な路線変更を決断します。
1966年にリリースされた2作目『柳ヶ瀬ブルース』は、岐阜の歓楽街を舞台にした女心を歌うムード歌謡でした。当時わずか20歳の美青年が、女言葉で切々と未練を歌い上げる姿は世間に大きな衝撃を与え、有線放送から火がついて公称120万枚を超えるミリオンセラーを記録。美川憲一の名は一躍全国区へと轟きました。
さらに1968年には『釧路の夜』がヒットし、1972年には生涯の代表曲となる『さそり座の女』を発表。「いいえ私はさそり座の女」という印象的なフレーズとドラマチックなメロディは、美川憲一の妖艶な世界観を不動のものにしました。美少年アイドルの枠を脱ぎ捨て、影のある女性の情念を歌う唯一無二の歌い手へと進化した瞬間でした。