昭和末期から平成初期にかけて、ニュースとエンターテインメントの境界線は極めて曖昧であった。事件の被害者や容疑者のプライベートにまで踏み込む取材姿勢は、視聴者に圧倒的なリアリティを提供する一方で、倫理的な課題を常に抱え込んでいた。
ワイドショーのカメラは、警察の捜査線上に浮かぶ人物の自宅前に日夜張り付き、マイクを突きつけた。奥山氏もまた、その過剰な取材システムの一翼を担いながら、報道とプライバシー侵害の挟間で苦悩していたとされる。過熱するマスメディアの狂乱は、現場でマイクを握るリポーター自身の心身をも少しずつ削り取っていったのだ。