葛見神社の起源は極めて古く、平安時代の延長5年(927年)に編纂された『延喜式神名帳』や『伊豆国神名帳』に記された「くすみ乃明神(従四位上 葛見明神)」に比定されています。主祭神は葛見神(倉稲魂命・保食神の説あり)とされ、古くは大室山をご神体として祀っていたとも伝わる古代信仰の拠点でした。
この古社を大きく中興したのが、平安時代末期に伊東荘を本拠とした豪族・工藤祐隆(伊東祐隆/出家して寂想)です。祐隆は伊豆の名門・伊東氏および工藤氏の実質的な祖であり、京都の伏見稲荷大社から神霊を勧請して社殿を整備し、自らの館の鬼門を守る守護神・氏神として篤く祀りました。境内には現在も、伊東祐隆の墓塔と伝えられる歴史ある五輪塔(伊東市指定文化財)が静かに佇んでいます。
源頼朝の伊豆配流や、後の鎌倉幕府草創期に深く関わる伊東祐親・八重姫の悲劇など、伊東の地には中世武士の激動の記憶が刻まれています。葛見神社はその権力闘争の原点となった工藤一族の精神的支柱であり、武運長久や家内安全、所願成就を祈願した武士たちの祈念が今なお色濃く残る場所です。